アルハンブラ宮殿に迫る

アルハンブラ宮殿に迫る

グラナダの宝石「アルハンブラ」にまつわる10の驚きの事実

ムーア様式建築の傑作であるアルハンブラ宮殿は、スペインで最も多くの観光客が訪れる歴史的建造物です。しかし、その隠された秘密まで知り尽くしている人は多くありません。今回は、大切に守られてきた10の秘宝を紐解いていきましょう。

 

1.「赤い城塞」の由来

スペイン語でこの宮殿は、建設に使われた石の色から「ラ・ロハ(赤いもの)」という愛称で親しまれています。同様に「アルハンブラ」という言葉も、アラビア語で「赤い城塞」を意味する「カラ・アルハムラ」に由来しています。

2.二つの丘にまたがるランドマーク

アルハンブラは一つの大きな建造物として見られがちですが、ナスル朝の王子たちの夏宮であった「ヘネラリフェ」は、他の複合施設とは切り離されています。本館はサビカの丘の上に、二つ目の宮殿はセロ デル ソルの丘の上に建っています。

3.難攻不落の要塞

アルハンブラが王室の住まいとなったのは、13世紀にナスル朝の初代国王ムハンマド1世(1238-1273)が登場してからのことです。現在見られるような華麗な姿になったのは彼の治世下でした。もともとは889年、アラブ人とムラディ(イスラム教に改宗したキリスト教徒)の激しい紛争期にサワール ベン ハムドゥンによって建てられた要塞が始まりです。その後、監視塔や地下牢など様々な塔が追加されて要塞化が強化されました。グラナダ地方を一望できるその圧倒的な立地が、敵の攻撃を阻んできたのです。

4.圧巻の職人技

宮殿内の様々な部屋や中庭の装飾には、1万箇所以上ものアラビア語の碑文が刻まれています。なかでも「勝利者は神のみ」という一節は、ナスル朝の創始者ザウィ イブン ズィーリの言葉とされ、随所に繰り返し彫り込まれています。

5.詩的な傑作

アルハンブラの壁面は、グラナダ宮廷に仕えた3人の詩人、イブン アル ジャヤブ(1274-1349)、イブン アル ハティブ(1313-1375)、イブン ザムラク(1333-1393)による美しい書道で彩られています。3人はいずれも王室秘書官や宰相を務めた人物でした。彼らの詩はヘネラリフェのポルチコ(柱廊)や「囚人の塔」、「コマレスの塔」、「ライオンの噴水」など、至る所で見ることができます。これらの詩はすべて、王への賛辞とこの場所の素晴らしさを称えるものです。

6.トロンプ・ルイユ(だまし絵)の技法

建築家たちは、すべての部屋を豪華な装飾で埋め尽くすよう命じられました。その結果、豪華に装飾された室内アーチがいくつも作られましたが、実はそれらには構造上の役割は全くありません!これらの精巧な装飾は建物を支えているわけではなく、あくまで「美しさ」を追求するために作られたものなのです。

7.唯一無二の柱

アルハンブラの柱は、他のどの建物にも見られない独特なデザインをしています。その繊細なデザインは、時に2本、3本と組み合わされて「ムカルナス(鍾乳石状の彫刻)」を支え、建築に驚くほどの奥行きと質感を与えています。台座の凹型モールディングや、上部のリング、植物モチーフで飾られた柱頭などが特徴です。

8.多彩な文化の影響

「ライオンの中庭」はアルハンブラで最も有名な場所の一つです。キリスト教の修道院にある回廊に影響を受けており、その建築様式は他のムーア様式の中庭とは大きく異なります。また、中庭を分かつ二つの軸はペルシャ建築の典型です。さらに、庭園の八角形、噴水、直角に交わる4つの水路は、方位(東西南北)とコーランに記された「楽園を流れる4つの川」を象徴しています。

9.独創的な灌漑システム

ナスル朝の人々は、生命と豊穣の象徴である庭園や果樹園、小川が溢れるコーランの楽園を再現しようとしました。そのため、アルハンブラやヘネラリフェの至る所に噴水や池、灌漑用の水路が配置されています。近くのシエラネバダ山脈から流れ出る水を取り込み、地下の貯水槽に蓄える仕組みが作られました。噴水はポンプを使わず、連通管の原理を利用した「重力」だけで稼働しており、当時の工学技術の驚異と言えます。

10.カトリック支配の痕跡

鋭い観察眼を持つ訪問者なら、ヘネラリフェにある「本水路の中庭」のアーチの内側に、興味深いディテールを見つけることができるでしょう。そこには、カトリック両王の紋章に刻まれたモットー「Tanto Monta(同じ価値がある)」が記されています。これは、カスティーリャ女王イサベル1世とアラゴン王フェルナンド2世の統合を象徴する言葉です。

 

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