アラスカに暮らす人々と出会う

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偉大なる土地の守護者たち

アラスカは、カナダのすぐ北西に位置するアメリカ最大の州です。そこには、約11万人の先住民族が辺境の地に広がる大地を守り、暮らしています。彼らは陽気に、そして心に誇りを持ち、厳しい自然の力や現代社会がもたらす様々な困難を物ともせず、先祖から受け継いだ伝統的な暮らしを実践しています。

時が止まった場所

「アメリカ最後の未開拓地」と呼ばれるアラスカですが、かつてこの地は「ロシア領アメリカ」でした。1741年、ロシア皇帝に仕えていたヴィトゥス・ベーリングというデンマーク出身の探検家によって発見されたのが始まりです。しかし何よりも重要なことに、アラスカの大地はそれ以前の数千年にわたり、そこに暮らす先住民族にとっての「偉大なる土地」でした。「アラスカ」の名は、先住民族であるアレウト族の言葉で「偉大な土地」(または「偉大な大陸」)を意味する“Alaxsxa”に由来しています。太古から伝わるこの言語は、今から約5千年前、カムチャッカやアリューシャン列島の沿岸地域で狩猟・採集を行っていた先住民族が初めて用いたものです。アレウト族に加え、イヌイット(イヌピアットやエスキモー、ユピックを含む)、イヤック、トリンギット、ハイダ、ツィムシアン、ノーザン・アサバスカンなどの先住民族がアラスカに暮らしています。彼らこそが、ツンドラ地帯、森林、山々、そして氷河が広がる荒々しい大自然に抱かれたアラスカの大地に最初に暮らした人々なのです。

ノームやバローといった小さな町に暮らすイヌピアットやイヌイットの人々からアンカレッジやダッチ・ハーバーに住むアレウト族、バラノフ島シトカのトリンギット族、セント・ローレンス島サボオンガのユピック、そしてアネット島メトラカトラのツィムシアン族まで、アラスカの先住民族は今も変わることなくこの地に暮らし、それぞれの文化や生活様式を大切にしています。彼らは命の糧である大地を深く慈しみ、先祖が残したものを何世代にもわたり引き継いでいこうとしています。 そのような流れの中、バローの町は2016年、その正式名称をウトキアグヴィクに改めました。アラスカ州最北部に位置するこの町は、イヌピアット語である元々の名前を取り戻すこととしたのです。ウトキアグヴィクから遥か2,000キロ南にあるシトカ国立歴史公園には、彩り溢れる美しいトーテムポール(レッドシーダーまたはベイスギと呼ばれる樹木を用いた大型の彫刻柱)が並び、アラスカがロシア領アメリカとなる過程でトリンギットの人々が経験した歴史を証しています。ピーターズバーグの町を走る通り沿いの壁面にも、トリンギットの人々の歴史が描かれています。この町はかつて、ケイクという小さな集落出身のトリンギットの人々が、漁業の拠点とした場所でした。アネット島の小さな先住民族集落であるメトラカトラには、ツィムシアン族のコミュニティが今なお残り、伝統工芸や踊り、彫刻など、ツィムシアンの文化を訪れる人々に伝えています。

狩猟、罠猟、漁ろう

ベーリング海峡に面したセント・ローレンス島のサボオンガは、ユピックの人々が暮らす村です。アラスカの大地に最初に暮らした人々の子孫が送る生活は、かつてと変わらず、季節のリズムと共に変化します。つまり、春には果物や野イチゴを摘み、夏には魚を取り、秋になれば狩猟に出かけ、冬はトラッピングと呼ばれる罠猟で動物を捕獲します。スノーモービルやモーターボートが徐々に犬ぞりやカヤック(アラスカに伝わる、木で作ったカヤックに動物の皮を張り合わせた「スキン・ボート」を指す)に取って代わってきてはいますが、先住民族の自給自足の暮らしを今なお支えるのは、自然が与えてくれる様々な恵みです。母なる大自然への敬意と感謝を決して忘れることなく、彼らは川沿いや海へ出かけ、またツンドラ地帯の真っ只中に遠征し、植物や野イチゴを採集し、カニやシャケを取り、法律に則った範囲でアザラシやクジラを捕獲し、トナカイやヘラジカ猟を行っています。

先住民族の人々は、先祖が残した伝統をひたむきに守りながら暮らしていますが、彼らを取り巻く現実にも目を向けています。彼らはその生き方に伴う様々な困難を十分に認識しており、しっかりと地に―先祖が残した大地に―足をつけ、つまり、非常に現実的に物事を考え、生活しています。「変化に順応しなければ、ここでの暮らしを続けることは不可能です」。旅行でアラスカを訪れれば、心がチクリとするような言葉を耳にすることもあるでしょう。それもまた、先住民族の暮らしの現実を伝えています。北米大陸の先住民族は何世紀にもわたり、周囲の環境と調和して暮らす術を身に着けてきました。それにより、時に厳しく、しかし常にそこにある美しく力強い自然界と折り合いをつけてきました。順応する力を持つことは、はるか辺境の地に生きるあらゆる人々にとって、最も重要な条件なのです。また、アラスカの先住民たちは今、科学者たちとの連携を進めています。その地で受け継がれてきた伝統的な知識を共有するという、極めて有意義な取り組みを共同で行っています。

行動すること:知恵を伝え文化を存続させるために

アラスカには20もの先住民言語が存在します。その多くが既に死語であると考えられたり、消滅の危機に瀕したりしています。しかし、「アメリカ最後の未開拓地」に暮らす人々は、彼らが誇る文化的多様性の最後の拠りどころでもある言語を守り、また蘇らせるために、驚くべき力を再び発揮しています。アンカレッジにある学校では、アレウト語(アレウト語では「ウナンガン語」と呼ぶ。これは先祖から受け継いだ大地に付けられた名前でもある)を残そうという取り組みが始まっています。アラスカ南部で話されていたイヤック語は、2008年に最後の話者の死去に伴い死語とされましたが、驚くべきことに、その後に復活を遂げています。誰も予想だにしなかったことですが、アメリカ出身の言語学者と(事もあろうに)若いフランス人の二人による粘り強い努力の結果でした。このフランス人は、イヤック語を死語にはしたくないとの強い思いから独学でイヤック語を学び、彼自身がイヤックの人々に教えたのです。これによってイヤック語は消滅を逃れ、イヤックの人々は自らの歴史と再びつながることができたのです。 強靭さ、温かい心、創意工夫する力、再び立ち上がろうという決意、そして寛容性。アラスカに暮らす先住民族は、先祖が築き上げた歴史を絶やすまいと、決然とした覚悟を持って奮闘しながら、自らの生活様式と伝統を守るべく、様々な変化に順応する力も発揮しています。彼らの日々の闘いには、謙虚であることの大切さを伝える、得難い学びがあります。

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