極地に伝わる犬ぞりの歴史

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犬と人間の物語

アラスカン・マラミュート、シベリアン・ハスキー、グリーンランド・ドッグ、サモエド。どれも北極圏を象徴するそり犬です。オオカミを祖先に持ち、オオカミ同様に群れを形成し、生存本能に従って行動します。たくましく力強いこの犬たちは、驚くべきスタミナを備えており、極地で何千年にもわたり、マッシャーと呼ばれる犬ぞりの操縦者を支えてきました。イヌイット、金探鉱者、冒険家、大自然を愛する人々。彼らは皆、犬ぞりをめぐる歴史に自らの物語を刻んできました。

犬ぞり:太古から続く風習

犬ぞりの操縦者を意味する“musher”(マッシャー)という用語は比較的新しいものですが、犬ぞりは古くから続く伝統的な風習であり、そのルーツはおよそ5千年から6千年前に遡ります。「北極圏に暮らす人々にとって、犬ぞりは唯一の移動手段でした」。そう語るのは、アルプス山脈にあるケイラで2008年からマッシャーとして犬ぞりを操縦するジョン・ペオラ氏です。犬ぞりの風習は、オオカミの家畜化に始まりました。オオカミを飼いならし、引き具でソリを引かせることで、先住民族の人々は狩りや釣りを行う範囲を拡大させることができたのです。「犬ぞりによって、北極圏で特に厳しい自然環境が広がる地域でも生活を営むことが可能となりました。そり犬の存在なしには、人々は生き抜くことができなかったでしょう」。犬ぞりは古くからの風習ですが、グリーンランド北部のカーナークや東部のイトコルトルミットなど、グリーンランドでも最も辺境な地域では、今なおイヌイットの人々の日々の暮らしを支える移動手段です。一年のうち9ヶ月が海氷に閉ざされる地域であり、そこでは幼少期から犬ぞりの扱いを教わります。狩りをするにも魚を取るにも、そり犬は現在もイヌイットの人々にとって大切な仲間であり、非常に厳しい極地環境での生活を支える欠かせない存在です。

金脈を求めて:犬のように働く日々

19世紀の終わり、10万人ともいわれる金探鉱者が押し寄せた場所がありました。カナダ、ユーコン準州の西側にあるクロンダイクと呼ばれる地域です。ゴールドラッシュに沸いた時代であり、1896年から1898年の2年間に、約5千頭の犬が金採掘の基地が置かれたドーソン・シティに集められました。輸送手段の確保のためです。富と冒険を求めやってくる何万という人々が、犬ぞりを日常生活に取り入れていきます。町はそり犬であふれ、犬ぞりは急速に大衆文化の一部となりました。そり犬は、採掘された金の輸送や探鉱者の移動手段となっただけではなく、食料、機材、木材、郵便物までも運び、休むことなく働きました。ちょうどそのころ、ジャック・ロンドンという一文無しの若者がドーソン・シティにやってきました。1897年8月にドーソン・シティにたどり着いたロンドンは、金鉱で富を成すことは叶いませんでしたが、のちの人生で、ドーソン・シティでの経験を文字通り「金に変えた」人物です。“The Call of the Wild”(邦題:「野生の呼び声」)と“White Fang”(「白い牙」)という小説を発表し、一躍人気作家となったのです。

極地探検を先導したそり犬たち

人類はいつの時代も極点への到達を夢見てきましたが、それは金を発掘するよりも困難を伴う挑戦でした。そして、そり犬の存在なしには、極地への冒険は不可能でした。そり犬は、19世紀末から20世紀初頭という極地探検の最も早い段階から、未知の世界を目指す人類の挑戦に関わってきたのです。1903年から1905年にかけて、ジャン=バティスト・シャルコーがル・フランセーズと名付けられた船で行なった初めての南極遠征には、5頭の屈強なグリーンランド・ドッグが同行しました。1956年にポール=エミール・ヴィクトールが南極のアデリーランドを探検した際も、犬ぞりが使われました。これら2つの冒険の間にも、注目すべき2つの出来事があります。1909年、ロバート・ピアリーとフレデリック・クックの両者が、人類として初めて北極点に到達したと主張し(これについては今日に至るまで議論が分かれています)、1911年には、ロアール・アムンセンが人類初の南極点到達に成功しました。彼らは例外なくそり犬を同行し、機材を運ぶにも進路を導くにも、そり犬は冒険に欠かせない存在となりました。「嵐の真っ只中で視界がゼロになったとき、人間にはそり犬が持つ優れた嗅覚もなければ、自身の位置を確かめる視力も方向感覚もありません」とジョン・ペオラ氏は言います。「そり犬がいなければ、人間はどこへもたどり着くことができなかったでしょう」。

冬に強い戦士

極地探検での活躍を買われ、そり犬は第一次世界大戦下のノルウェーやフランス・ヴォージュ山脈で前線に立ちました。「400頭のアラスカン・マラミュートがフランス軍に加わり、塹壕への食糧供給や前線で負傷した兵士の搬送を行いました」とペオラ氏は語ります。「そのような任務のために、兵士は犬ぞり操縦の特別な訓練を受けたのです」。アラスカン・ドッグ計画の名で知られたこの作戦は、1915年にフランス政府の承認を受けます。その結果、400頭のそり犬が動員され、70台のそりで5トンものビスケットを運んだのです。終戦時には、功績をたたえられた3頭のそり犬に、クロワ・ド・ゲールと呼ばれる軍事勲章が授けられました。

血清のリレーを率いた犬たち

物資の輸送に加え、現在犬ぞりはレクリエーション目的にも用いられています。アラスカ州の最西端に位置するノームという町では、犬ぞりの操縦がスポーツとして正式に認められており、1908年に最初の競技が行われた記録が残っています。ノームの町は、ユーコン・クエストと並んで世界に知られる伝説的犬ぞりレースである、アイディタロッド国際犬ぞりレースが生まれた場所でもあります。町に伝染病のジフテリアが流行した1925年、20人の犬ぞり操縦者の一行が、リレー方式で1,000キロを超える距離を昼も夜もなく走り、開始からたった6日で貴重な血清をノームの町にもたらしました。その道のりが、現在行われる犬ぞりレースのルートとなっています。アラスカ南部から犬ぞりリレーで移送された血清は、1925年2月2日、遠征の最後の区間を走ったグナー・カーセンと、犬ぞり隊を先導したシベリアン・ハスキーによって、ノームの町に届けられました。犬は英雄としてたたえられ、その名前「バルト」も広く知られることとなりました。

犬を愛するが故の職業

グリーンランドのそり犬の数は、10年前には3万頭だったのに対し、現在では1万2千頭に減少しています。それでもなお、冬場は雪に閉ざされるあらゆる地域で、大自然を慈しむマッシャーたちが、太古から続くこの伝統を存続させることに力を注いでいます。マッシャーとは単なる職業にとどまらず、情熱と呼ぶにふさわしいものです。マッシャーは、散策ガイドとして自然を探求する様々なアクティビティを提供しながら、その情熱を訪れる人々と共有しています。現代のマッシャーは、ハンターや冒険家というよりはむしろ、自然の神秘や野生動植物に精通した、自然環境の専門家と言えるでしょう。30頭のそり犬と共に暮らすペオラ氏もその一人です。「冬と夏の間は、アルプス山脈でそり体験、カニ・ハイキングと呼ばれる犬同行のハイキング、カニ・クロスと呼ばれる犬同行のクロスカントリーを行っています。春は犬たちをスウェーデンに連れていき、自然の中でのびのびと過ごす時間を作っています」。犬ぞりの操縦は一日たりとも休むことのできない仕事です。ペオラ氏は自身の犬を知り尽くしています。それにとどまらず、彼は犬と深い関係を築き、犬たちが欲することや状態を感じ、把握することができると言います。疲れているのか、興奮状態にあるのか、何かに気分を損ねているのか。「マッシャーに必要なのは、犬を心から愛し、彼らが人生の一部だと感じることです」とペオラ氏は語ります。「そして、犬ぞりという伝統が持つ共有の概念を大切にすることです。それにより、人間がかつてオオカミと共に成し遂げた“共生”という概念に立ち返ることができるのです」。犬は、謙虚であることの大切さを私たち人間に見事に教えてくれます。その大切さに気づいたとき、私たちは自分自身の発見に一歩近づくことができるのです。「自分は何者であるのか。犬がそれを教えてくれます」。


犬ぞりの操縦者を意味するマッシャー(英語:“musher”)という用語は、「行く」や「走る」を意味するフランス語の“marche”を語源としています。18世紀末、フランス領であったカナダがイギリス領となった際に、英語化したと考えられています。

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